Tuesday, July 10, 2007

8/26 (日)は布ナプキン会議へ!

台風によって延期された布ナプキン会議、次回予定は8/26(日)です!

ブルーテント村とチョコレートより



7月15日(日)pm3〜、エノアール横にて 
布ナプキン会議 
布ナプキン革命の波がやってきた

1、布ナプキンの情報交換
・素材、形、洗い方、付け方、そして、身体、地球について。
・ナプキンエピソード。困ったこと、良かったこと、感動したこと、笑えたことを話し合います。
盛り上がりまちがいなし!

2、布ナプキンの制作 by KY
・優れものネル素材を使って布ナプ制作。 

3、おもしろ手作り布ナプ紹介。 by MI
「太陽の塔型」布ナプ・・毎回、芸術は爆発だーとアートを実感。
「マトリョーシカ型」布ナプ・・同じものをいくつか作って、数枚重ねて使ったり。 
「鳥型」布ナプ・・付けているというより、鳥に乗っているというファンタジー。

Thursday, July 05, 2007

月経用品:カップ・月経布などの動画

なんとなくYoutubeで検索した結果見つかったふたつの動画です。



Bloddy women!はカップや月経布の使い方などを説明しています。とくにカップの使い方「?」なかた、後半に折りたたみ方なども移っているのでみてみてください。
value="http://www.youtube.com/v/moFxuKGu7Kg">



こっちはdivacupを使った個人的な感想を話しているらしい(じつはまだ音きいてません)。英語ですが、参考まで。
Hopevids-Menstrual Alternatives

Wednesday, July 04, 2007

ubiqueer visual showcace vol.1 《性/別》

Festa di cinema ”Anarchiaにて、《性/別》を問い、問われる映画、「病気」・医療・製薬会社などと直接行動で対峙する記録映像などが見られます。トークセッションにも参加させてもらうことになりました。



《性/別》





FUCK YOUR GENDER, FUCK WITH GENDER.

男だか女だかわからないひとが出てくる映画ばっかり。 だけど、ひとの性別を決めるのって、なに? どこのだれ? おれやわたしは女や男なの? それとも別の何か? からだはだれのもの? 欲望こそが自律の領域? マジで!? 

問うものは問われ、見るものは見られる。

試し試される覚悟ができた子からいらっしゃい。





■7月29日(日) 
■上映開始:PM1:00 終了予定:PM7:00 
■入場料:1000円(資料込 出入自由)
■会場:Poetry in the kitchen(東京・飯田橋) 地図







スペイン革命ドキュメンタリー『希望と欺瞞の間に』 PM1:00~



副題ESPNA 1931-1939が示す通り1931年の王政の崩壊から39年の内戦の終結へといたる全過程を、フランコ体制の解体後にCooperativo de Cinema Alternativoが約2年間の歳月を費やして当時のフィルム、写真、新聞記事、ポスター、統計図表などを広範に蒐集する一方、戦争と革命の最前線を担ったCNT、UGT、社会党、共産党、POUM、国際旅団などの老闘士へのインタビューをも加えた長編ドキュメンタリーである。

77年秋のCNT代表の来日に際し、当時のスペイン現代史研究会を中心に『スペインの短い夏』と共に製作された日本語版は、内戦をめぐる通史としては絶好のテキストと目されて自主上映されつづけることととなり、いまあらたに蘇る










『オカマに生れて:拝啓 お医者様 (Born Queer)』 PM2:30~
監督:Eli seMbessakwini  上映時間:5分 製作:2003年 米国



私はジェンダー破壊者として生まれた

名門の出のジェンダークイア

それは私の遺伝子に組み込まれている

私の遺伝子たち

私のアナーキーな、インターセックスの体






『若いトランスたち (Some of the stories: a documentary about trans youth)』

監督:Jacob Simpson 上映時間:34分 製作:2001年 カナダ



 トランスとは? カナダ先住民であるトランスの若者たちは語る。

トランスである自分、セクシュアリティーをもつ自分、身体をもつ自分といった、複数のアイデンティティの重なり合いと矛盾、コミュニティの意味と可能性、障害者であることや、植民地化の傷あとなど、当事者が自らのことばで表現する。

一人ひとりの複雑さを単純化させようとしない見応えのある作品。






『トランス家族 (Transmisson)』

監督:Ivan E. Coyote 上映時間: 8分 製作: 1998年 カナダ



「私が大人になったときには、父のようになりたいと時々思います。でも、傷跡はいらない」

ーー以前はレズビアンだった父親と一緒に暮らす私は、こうつぶやく。あるトランス家族の短編物語。









[トーク]  PM4:30~



★Toppie!  from A-menace collective / チンピラ 「希望は、階級闘争。」
★yuzo  from daily life zine / 友達の家愛好家 「性の封鎖、脚色クソくらえ! ありのままこそパワー!」
★遠藤まめた 俺オンナ解放論者 / 学生 / がんばらないトランスジェンダー
★グレフル  from むむむ@Autonomous health 「いまやりたいことはコレクティブ・キッチン。」
+ほか二名を加えた友人たちによるトーク。









参考上映: 『Voices from the front』 PM5:30~



ピンクトライアングル、SILENCE=DEATH のマークが印象的な、

1980年代にNYではじまった、AIDSに関する運動 ACT-UP の記録。

直接行動、コミュニティの創造、セクシュアリティと運動について

アートと運動の関連についてなど、多面的な提起をしています。















http://www.cira-japana.net/cont/cinemafesta/queer.html

Sunday, July 01, 2007

不完全な本のリスト

このブログでは紹介済のものも多いですが、これが先日の模索舎イベントで配った本のリストです。




(不完全な) BOOKLIST


『躁うつ病を生きる わたしはこの残酷で魅惑的な病気を愛せるか?』 
K.ジャミソン 著 田中啓子 訳  新曜社

タイトルの通り、『躁うつ病』を生きた心理学者でもある著者が、どんな時に気分の変化に身をまかせたいと考えて、また別のときには薬を服用する必要を感じたかなどじぶんと気分の複雑な関係を自伝的に書いています。「PMS」など月経サイクルの影響で気分の対処に悩む人にも読んでみて欲しいと思います。まわりもいろんなことをいうし、じぶんもいろんなことを考えるので、ひとつの答えがなかなかでないような状況はそれだけでも孤独を呼ぶと感じる時に。ただし著者の生活描写は感情移入しにくいかも。



『あなたの受胎能力を管理する 自己観察法(FAM)で成功させる妊娠・避妊』
トニー・ウェシュラー/著 花山洋/訳  明石書店

 目的は妊娠・避妊・健康管理・自分のからだのいろんなサインを知る等などいろんなことに使えます。妊娠・避妊目的以外なら、あまり全部きちんとやろうとしないで、じぶんに向いた観察の仕方のヒントを得るくらいの気持ちで読んでも面白いと思います







『“ほっ”とする生理痛の本―女性の悩み解決ガイド』

清水直子、わたなべゆうこ  築地書館

月経痛という体験は仕事、社会、病院から受ける粗末な 扱いやそれに伴ってふてくされの感情=ストレスなどのせいで余計つらいものになっていることへの意識があって、とにかくそんな人に「ほっ」として欲しい。そんな思いがうかがえる。様々な体験談は「月経痛という体験」がいろいろであること、つまりCMとは違ってみんなある鎮痛剤を飲めば治るわけではないし、「月経は病気じゃない」「子供を産めば治る」と医者に言われても納得できるはずがないものだったりする。の中の具体的な情報は、月経痛の原因、子宮系の病気との関連、婦人科での治療の受け方、鎮痛剤、漢方、ピルなどの成分・説明・飲み方の注意、月経と社会 環境、生理休暇のとりかた、周囲との関係、薬以外のセルフケア、民間療法、心の治療、などかなり広い内容。末に用語集、本・ウェブサイトのリスト、関連団体のリストがある。


『更年期 日本女性が語るローカル・バイオロジー』
 マーガレット・ロック  みすず書房

聞き書きの論文。すぐに助けになるようなものではありませんが、ゆっくり、じぶんの体験と医療との関係がどうつくられるかを考えたい時に重要。以下みずず書房のwebページより「〈語り〉の分析をとおして、「メノポーズ=更年期」という図式や、「暇人の病」など、更年期に絡みつく神話をねばり強く解体してゆく。最終章は、メノポーズに対するホルモン療法のリスク‐ベネフィットを再考し、治療方針に関する具体的な提言をおこなっている。この事例はまた、ローカル・バイオロジーの視点からの西洋医学的治療のリスク‐ベネフィットの再検討という、普遍的な課題の存在を示唆している。」










『なぜ婦人科にかかりにくいの?』まつばらけい・わたなべゆうこ

月経痛という体験は仕事、社会、病院から受ける粗末な 扱いやそれに伴ってふてくされの感情=ストレスなどのせいで余計つらいものになっていることへの意識があって、とにかくそんな人に「ほっ」として欲しい。そんな思いがうかがえる。様々な体験談は「月経痛という体験」がいろいろであること、つまりCMとは違ってみんなある鎮痛剤を飲めば治るわけではないし、「月経は病気じゃない」「子供を産めば治る」と医者に言われても納得できるはずがないものだったりする。の中の具体的な情報は、月経痛の原因、子宮系の病気との関連、婦人科での治療の受け方、鎮痛剤、漢方、ピルなどの成分・説明・飲み方の注意、月経と社会 環境、生理休暇のとりかた、周囲との関係、薬以外のセルフケア、民間療法、心の治療、などかなり広い内容。末に用語集、本・ウェブサイトのリスト、関連団体のリストがある。



0歳からの性教育読本』キム・ミョンガン 阪急コミュニケ-ションズ

からだのことを素直に話したり、教えてもらったりした機会が少なかったと思う人にとっては、子ども向けの「性教育本」が向いてると思うのだけど、その多くは都合の悪いことは避けて通っているようで物足りません(図書館のティーンの棚を見てみてください)。その点この本はできるだけすべておしえましょうというスタンスで書かれています。
これは親などの立場のひとがこどもにどう説明するか、というアドバイスの形で書かれてるので、その説明に納得いかない部分もでてくるはずだけど、すくなくとも自分なら高説明したい/して欲しいという考える材料になると思います。この本を元に0歳から200歳までのDIY性教育本というものを作ることを想像して読んでみたい。





「卵子story -- 女性のからだと卵子のひみつ」
きくちさかえ、鈴木賀世子 著 早乙女智子 監修小学館 

卵子・ホルモン・精子などを擬人化して説明しているのが、とても分かりやすい一方、「セイシ君をまつランコ」の物語に共感できないとイライラすることがあります。ホルモン魔女っていうのはなかなかいいと思うので月経サイクルとホルモンの仕組みをできるだけ簡単な説明で理解したい場合に向いていると思います。)

6/30 模索舎イベント報告/DIY性教育

6/30(土)新宿の本屋模索舎でおこなわれたイベントはおかげさまで楽しく過ごすことができました。テーマが幅広かっただけに、はじめはみんな何を話したらいいかわからないかんじでしたが、特定の「病気」や症状、不調に限らず、からだとの関係についてお互いの話から刺激しあっていくと最後には話しが尽きなくなっていました。来てくださったみなさんのおかげです。またすぐにでもこういうことやりたいです。ありがとうございます。以下はみなさんにおみやげとして渡した読み物。ALL ABOUT MY VIGINAから。



性教育をやる(Doする)こと
ーDIY sex education―     
           グレフル@模索舎

以下はカナダ在住の「ALL ABOUT MY VAGINA」(http://myvag.net/)といサイト上で、個人の経験に強く基盤をおき、性やヴァギナもちのからだへ向き合い方や健康管理の仕方を探求しているサラ(Sarah Mundy)という人がExploring Healthy    Sexuarities Conference(健康的なセクシアリティ(達)を探求する)というイベントでDIY sex educationというテーマで話しをした内容の簡単な訳です。 
この文章では性教育を主に扱っていますが、からだ・健康・医療のことを個人がどうにかしようとする時にでてくることにも大抵あてはまるものだと思いますし(そもそも「性」はからだ、健康・医療ときっても切り離せないものですが)、「性教育」を「健康」「からだ」「医療」に置き換えて読んでみても面白いと思います。
 きわめて機械的な翻訳であり、はなしてもきた内容もアメリカ文化(あるいは西洋・西欧?)の文脈に依存しているところも多くあるので読みにくいと感じるかもしれませんが(私もよくわからなくて省略した部分があります)、わかることなら応えます(あるいは調べます)ので遠慮なく言ってください。







(冒頭あいさつ省略)
私がDIYセクシュアリティ教育というとき、一人でしなきゃいけない性教育という意味ではありません。それは自分なりのやり方で、家で、友達と、素人として、安く、あるいは無料でできるということを意味しているのです。
このような独立した、素人の教育は性教育に役立つ一部であるだけではなく、私が考えるのは、一番いい性教育の種類で、もしかしたら実際に効果のある唯一の方法かもしれないと思います。
それぞれの学校が現実的で包括的、そして前向きな性教育プログラムを実施していたとしても、それは現状とは違うのですが、私たちはそれでもDIY教育で補完する必要があります。
人々は多様で、セクシュアリティはとても個人的なことーある人が知る必要があることが、その友人たちには全く関係が無いというようなことーになりえます。ですから性教育は必要に応じて変えたり、私たちのそれぞれに違う風にあたえられる必要があります。
仮に私たちが巨大な、個人にあわせた、複数の選択肢がある性教育プログラムを学校で受けられるにしても、健康的な性との付き合い方やセックスの安全性はいつでも情報が新しくなっているので、私たちは生きている間ずっと新報についていかなくてはいけなくなります。一度性教育を受けて、やることのリストをチェックしてそれでおしまい、というわけにはいきません。それでは正確さを保てません。
私は幸運なことに前向きで包括的で現実的な性教育プログラムを高校で受けることができました。そこで私がマスタベーションやオーガズムについて学びました。副校長は女性外性器の絵をはって、クリトリスを指して「これは女性がオーガズムを得るために刺激するところです」と言いました。
そしてこの素晴らしいプログラムがあっても、すべての種類の情報は私が最後の性教育のクラスを受けてから変わっています。私が学校にいたころ、Nonoxynol-9をつかって殺精子剤で潤滑されたコンドームはさらなる確実な避妊と感染症予防のためにA+レベルだとされていました。いまではN-9は実は粘液の細胞膜を刺激することで余計に感染しやすいことが知られていますので、もう勧められていません。私が学校を卒業したあと、デポプロヴェラという注射の避妊法が人気になりましたが、後に骨密度の低下を招くことがわかり、もうあまり勧められていません。性に関する情報はいつでも変化しています。
このようなアップデートにくわえて、性に関する情報への必要性も時とともに変わります。受胎調節がいい例です。避妊をする十代には、もうこれ以上子供の欲しくないと考えている親とはちがった優先事項があります。あるいは長いつきあいのふたりがモノガミーの枠組みの外でセックスの安全性について考えなくてはいけない時、最良のガイドラインは最後に自分たちが確かめたときから発展していることでしょう。
なので、性教育が継続的なまなびであること、私たちみいながやることであって一度手に入れてお終いとはいかないことは明らかになってきます。このイベントの名前「セクシュアリティを探索する」とは性教育を考える上で役に立つ考え方で、一度きりの資格であるよりもずっとつづく探索の過程であるという意味でで素晴らしいものです
この一生つづく自分たちのために性教育を「する」という過程に注目すると、性教育の一番重要な部分はどんな事実や情報でもないということを考えます。なぜなら、わたしたちはそれぞれ少し違った事実のまとまりや情報が必要で、それもどうせ変わるものだから。性教育の一番重要な部分はひとびとが性教育を(じぶんたちで、じぶんたちのために)しつづけ、どうやるかを自分たちでみつけるように勇気付けることです。
ていうのもきょういくのよくある決まり文句なんだけどね!せんせいは「私たちはあなたたちに物理を教えているのではありません、どうやってまなぶのかを教えているのです!」みたいなことを言うのが大好きです。この大学にもきっとどこなに「ビクトリア大学の本当の目的はあなたにどうやって考えるかを教えることです」とかいてあるパンフレットがあるって賭けてもいいです。
それが基本的な私が性教育について言っていることです。ただしわたしは人々がそれを教わる必要はないと思ってます。私はにんげんはみなまなぶ機械で、わたしたちはそれをつづけるための資源とサポートが必要なだけだと思います。
「性教育は「性教育をやる」ことをつづけるために勇気づけられることです」ということを言うとき、勇気づけることとまなぶことの内、あまり注目されない部分があります。それは教えるために勇気づけられるということです。
おしえることはDIY哲学の大きな部分です。単に「自分でまなべ」ということではなく「じぶんでやる」なのです。性教育の中には大部分が本や映画、友人との会話の中から自分で自分に教えるということがあります。それをやるとき、私たちは自分たちに性についておしえているのです。私たちは性教育者になっています。
私たちはいつでも他のひとにも教えています。私たちは自分たちのパートナーに何が好きでなにがしたいかを教えます。たくさんの人びとがコンドームの使い方や潤滑油の選び方といった実践的なことをパートナーに教えています。子供がいる人はもちろん性について教える立場にあります。たくさんの人が友人に何かを教えて、お互いからまなびます。地域や職場でさえ、それだは起こりえます。私は一度上司に「おとこ」もバイブレーターを使えると教えることなってしまイましたったことがありました。彼が携帯着信を「バイブ」に切り替えて、振動を止めることができなかったことがありました。その時かれは怒って「この電話はバイブレーターだ!助けて!これはおんなの電話だ!」。ということで堅苦しい仕事場でもセクシュアリティについてお互いを教えあうことになってしまいました。
私は教師という職業について語っているのではありません。これは誰もがやっていることです。なぜならわたしたちは社会をつうじて生きていて、お互いから学んでいるからです。
他のどんな話題よりも、私は性教育が人々に「じぶんたちでやる」(DIY)ことを促すものだと思います。少なくとも、進歩的な性教育はそうです。私が進歩的な性教育というとき、セックス・ポジティブとか、フェミニストとか、包括的なとか、現実ベースの、などなどと呼ばれるものについて話をしています。私はこういう種類の性教育は進歩的であるという分け方ができると思います。
進歩的な性教育は。思いやり(あなたに幸せになって欲しい、あなたが間違いをしたときにサポートする)、責任(自分の世話をして、他のひとの世話もすること)という意味において、健康的なセクシアリティを特徴づけると思います。
もっと否定的な、保守的なセクシュアリティの理想は規律(ルールをまもって、ルールに従って競争して、間違いを罰せられること)にもとづいています。
私の個人的な価値観に当てはまることを別としても。進歩的な性教育はよりうまくいきます!それは持続的なのです。あなたが別のだれかに責任をもつように助けるたぶ、相手はもっとお互いを助けることに責任をもつようになります。これと比較して、保守的な方はもず方を不安定にする傾向があります。なぜなら他のひとのルールに従うのは時にイライラしてしまいます。結局ルールを破ることになり、その人たちは安全ではなくなってしまします。なぜならルールが唯一安全を保つものであるからです。これは大変な混乱状態です。
ですから人々を勇気付けることが明確なのは進歩的なセクシアリティの資料です。これは驚くことではありません、なぞなら多くのセクシアリティの情報は自助(セルフヘルプ)やフェミニズムや人権など平等をめざすうんどうから直接出てきたものだからです。.
フェミニズムは性教育にたくさん貢献してきました。女性の快楽のための技術、リプロダクティブヘルスへの壁とそれをどうするかについて、性に関する医療への壁とそれをどうするかなどなど、たくさんのこです。
クイアの権利、ゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスの運動はじぶんが定義する性のアイデンティティやジェンダーアイデンティティについてのたくさんのアイデア、そしてたくさんのセックスの安全のための技術を提示しました。クイアの活動家たちはエイズ予防のためにコンドーム使用を促進した最初のひとびとです!

障がい者の権利運動はせいきょう性教育にとってとても大きな存在です。自分のニーズについてコミュニケーションをとることについてたくさんの洞察、出産する権利や優生主義的なちゅうぜつの両方におけるリプロダクティブライツの議論などが生まれました。.
とにかくたくさんです!私は年長者の活動やセックスワーカーの権利などまだまだなんでも話ができます。だれかが平等になるとき、いつでもすべてのひとが健康的なセクシュアリティのためのヒントをもらいます。だれかが平等になるとき、わたしたちすべてが新しいセクシュリテュアリティの情報資源(とっておきの手)を得ます。
現在ある効果的な性教育への大きな壁のいくつかは平等、特に若者の権利に結びついています。
学校での包括的な性教育を行うことを妨げる大きな問題のひとつは、若年者は性を追求することとセックスを行うことをを許されていないことです。このことは基本的に若い人が本人にとって安全で前向きである方法で、他の人と同じように性的になったりセクシュアリティを探求する権利があるかどうかという質問であります。
.私はこの質問に「はい、あなたは同じように性的になる権利があります。」と答えずに若者向けの性教育プログラムを行うことはできないと思っています。
私はこのことから何が生まれるかを見てみたいと思っています。なぜなら、それは性的になること、セクシュアリティをもつことがどういうことであるのかの幅広い、良い定義を含むはずだからです。もし私たちが性的に活発でない子供や十代の若者を含めるなら、セクシュアリティはじぶんのからだに良い気持ちをもって、じぶんじしんのセクシュアリティを理解することなども表すはずだからです。8歳のこどもにとって性的であるとはどういうことか、そしてそのうちのいくつかが大人としての私にとっても興味深いものであるかどうかを問う必要があります。誰かがもっと平等になるとき、みんなが洞察力を得ます。
セクシュアリティに関連があるだけでなく、若年者の権利は私が性教育ととても関連があると間あげる教育の方法、学ぶこと教えることについての考えにもたくさんのをことを暗示しています。
若年者の権利についての情報を探すと、多くがモンテッソーリメソッドやモンテッソーリ学校を作ったマリア・モンテッソーリ(Maria Montessori)や、『民主主義と教育(Democracy and Education)』を書いたジョン・デューイ(John Dewey)のような人々の考えの中の教育改革の分野にいきあたります。教育改革者の本を読むと、彼ら/彼女らは学校について話をしていますが、そのうちすべての人は生まれながらにして投票権をもつべきであるとか、いろいろな種類の若年者の権利についての考えについて書いてある章にいきあたります。
彼らは学校が若年者にとって明らかに抑圧的である様式について書きました。たとえば子供が殴られて自分たちが学ぶことについて意見がいえないといったことです。しかし彼女らは人間関係の本質的な権力や権威主義、権威者としての教師、生徒を力づける方オフ等についてもはなしをしました。
それが私が性教育にとって興味ふかいと思う部分などです。私たちすべてがつづいていくじぶんたちじしんの性教育を「やる」ために勇気づけられる必要があるならば。
 私のお気に入りの、教育が人を力づけるに権威を促進してしまうということの一番砕けた説明はジョン・ホルト(John Holt)のものです。彼は1970年代に本を書き、ホームスクーリング(家庭教育)とアンスクーリング(正規の学校教育の外で行う子供の教育)の運動を鼓舞した。彼は私たちが専門家から学ぶとき、私たちは教育が専門家から得られるもので、日常生活の中で学ぶこととは別物だと考えるようになるといいました。彼は専門家が私たちに何を教えようとしているとしても、結局彼ら/彼女らは私たちを教育する必要があると考えており、それは私たちはじぶんたちで学ぶことができないということを暗示しているといいました。
現在、性教育には専門家がいて、その分野には権威もいます。これらの人々は誰かが「だれが性教育を「する」のか」と訪ねたときに思いつく人たちです:たとえば、親、教師、医者、そして博士やプロの教育者、本書き、有名人などの幅広い権威者など。
性教育はセルフヘルプムーヴメントから出てきたもので、勇気づけ(エンパワメント)が必要だということを明確にしているので、性教育の専門家は権威をオーラを弱めるためにいろいろな努力をします。セクシュアリティの本はたいてい自分で管理して、権威者のいう事を聞かず、じぶんじしんでやるようにという激励を最初の方に書いています。Our Bodies, Ourselvesやその後を追った他のたくさんの本は権威者からのアドバイスだけをのせる代わりに一般の人々からの逸話や引用を載せています。
しかしそれでも人々はしばしば性の専門家のいいなりになり、性教育はプロのアドバイスが必要だという意見を持つようになる。わたしは自分たちがすでに知っていることについて、専門家の太鼓判をもとめるようなeメールをよく受け取ります。そのひとたちはじぶんじしんのからだや観察を信頼したくないのです。そのひとたちは「そうです、それがオーガズムです」、とか「いいえ、そのことはあなたがゲイであるということを意味しません」ということを専門家に言って欲しいのです。
私は特別な訓練を受けていないのに人々は時々私を専門家と呼びます。ジェニファー、ヘイディーあなた達も時々性の専門家とよばれるんじゃない?(ジェニファー:うん、すごい嫌!)。だから、「性の専門家」がDIY方式で学ぶことや個人を力づけることをいくら推進しようとしても、人々はそれでも及び腰になり性教育は専門家のアドバイスを必要とするものだという考えをもってしまうのです。
 このことを打ち破るには、DIY性教育を自分のために学ぶということだけではなく、教えるという観点から話をする必要があると思います。教えることは力強い役割であり、それは性教育が「受ける」ものではなく「やる」ものであるなら、含まれなければならないものです。
そのためにできることがいくつかあると思います。
ひとつはDIY性教育や性教育をじぶんたちの
ためにやる事として話をすることです。あるいは「セクシュアリティを探求する」という言い方で通用するならそのことについて話をするのもいいでしょう。
もうひとつは、先生と生徒という状況だけではなく、性教育プログラムの中で会話をすることです。(省略)
 私は他のDIYプロジェクトに目をむけるのも役立つことだと思います。たとえばクラフトやテクノロジーハッキングのようなものです。編み物の場合、編み物をする人たちは、お互いの技術のレベルやその時模索している内容について見せ合ったり話し合ったりします。編み物をする人たちが公共の場で集まると、様々なスキルや知識を目にしたり、多くの編み物をする人たちがじぶんたちの本を出版したり、ウエブサイトさえないのに素敵なものを作っていることが一目でわかります。
 少し前にDIY政治運動(90年代とか)はこのように人前に出ることに関して、様々な方法を使って成功しました。私はブラッドシスターズというモントリオールのオルタナティブな月経用品に商店をあてたグループのステッカーを持っていました。そのス哲多―には「ラディカルな月経について聞いて頂戴(“ask me about radical menstruation”)」と書いてあって、それは良かったと思います。
 最近わたしは似たようなバッヂを作るようになって、そこには「避妊について聞いて頂戴(Ask me about birth control)」あるいは「セックスの安全性についてきいて頂戴(Ask me about sex safety)」とかかれています。これらはしらない人と話すのに適しています。もしじぶんもそうしたいという人がここにいれば、(省略)、そのバッチの一番いいところは、誰かがあなたがつけているバッヂについて聞いてきたときに、その人のも渡してあげればその人もDIY性教育者(DIY sex educator)になれるということなのです!
人々は素人の性教育者がうろうろしているのは怖いことだと思いがちです。その人たちがよくない答え方をしてしまったら?というように。私は性についてはなすのはいつでもいいことだと思っています。
たとえ、性に関する質問に関して、ある人が言えることが「よくわからないけど、☆☆☆で聞いてみるといいと思うよ。」だけだとしてもそれは性教育をやっているということだと思います。たとえそれさえできなくても、言える事が「よくわかんないけど、面白いね。なんでそんな質問をおもいついたの?」だけだったとしてもそれも性教育をやっていることになります。それは質問をして、セクシュアリティを研究することになります。
 これが私の考える、正規の性教育を補完するためのアイディアです。性教育をやることは、じぶんたちが知りたいと思うことについて、そしてお互いや自分たちじしんを教えあうことについて責任をもつことだということを思い出せば、あとは話しをしつづけるだけです。
(最後のあいさつ省略)
+++++++++++

(注)Our Bodies, Ourselvesアメリカで最初に出版され、日本でも翻訳に加えて日本にあった情報が追加されているバージョンが出版され、他にも何ヶ国語にも翻訳されている女性の健康運動の中のベストセラー。
(注).Bloodsisters http://bloodsisters.org/bloodsisters/
血姉妹連帶http://bloodsisters.or.kr/ 
(注)「セックスの安全性」=sex safetyとは、セーファーセックス/より安全なセックスに代わる言葉としてこの話をしている人が思いついた言葉。この方がだれかのルールを守るか失敗するかという二者択一よりもセックスを安全にするコツおしえたりおしえられたりするという関係が作られるのでいいという感じの発想であるようです。




以下のページよりグレフルが日本文にしました。
http://myvag.net/talks/diy-sex-education/
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